トルコ至宝展

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トルコ至宝展を楽しむためのミニコラム

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Column 01
トプカプ宮殿について
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Column 02
オスマン帝国の栄華
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Column 03
象徴としてのラーレ
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Column 04
トルコと日本
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Column 01

トプカプ宮殿について

  • アフメト3世のフルーツの間 写真提供:トプカプ宮殿博物館

1453年、メフメト2世によるコンスタンティノープル(現イスタンブル)征服後、ボスフォラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に、
新たな首都の宮殿として建設され、19世紀半ばまで行政機関とスルタンの住居として使われました。

宮殿敷地内にいくつも作られたキョシュクという小規模建築は、遊牧民のテントに由来するとも言われています。

歴代スルタンによって増改築が繰り返され、その変容には各時代の芸術潮流や行政組織の変遷が反映されています。

1924年、トルコ共和国建国時に博物館となりました。

9万点近い美術品と建築でオスマン帝国の歴史やスルタンたちの生活をしのぶことのできる宮殿博物館として、世界中の人々を魅了しています。

Column 02

オスマン帝国の栄華

  • 《スルタン・マフムート2世の玉座(支配者の肘掛け椅子)》 19世紀初頭 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《スルタン・アブデュル・ハミト2世の花押》19世紀末 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《儀式用宝飾水筒》16世紀後半 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《立法者スルタン・スレイマン1世の刀剣》1526-27年銘 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《スルタン・メフメト4世の宝飾短剣》1664年頃 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《立法者スルタン・スレイマン1世》『トルコ皇帝肖像画集(ヤング・アルバム)』、ロンドン、1815年 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《スルタン・オスマン2世のカフタン》1618-22年 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《ダーマート(婿)・イブラヒム・パシャのギョク・ス行楽図》 ルファト・オスマン画、イスラーム暦1328年/西暦1912年 トプカプ宮殿博物館蔵

オスマン帝国(1299年頃~1922年)の第7代スルタン、メフメト2世は1453年に西洋と東洋の接点といわれるコンスタンティノープルを征服すると、
ここを新たな首都とし、政治・軍事・文化の拠点としてのトプカプ宮殿を1478年に完成させました。

その後、メフメト2世の曾孫で、立法者または壮麗者と呼ばれるスレイマン1世(在位1520-1564)の治世下では、
法が盤備されるとともに宗教建造物の造営、公共施設の建設などの大事業が推し進められました。
また、対外的には地中海を制圧し、西はハンガリーなど中部ヨーロッパまで、
東はイラン西部、北は南ロシア、南は北アフリカまで領土を拡大し、最高の権勢と繁栄が謳歌されました。

こうして、支配下に収めた地城からの収益、交易の富、世にも珍しい献上の品々は、国庫を潤しました。
支配者層が次々と建設する壮麗なモスクには当時の最高の技術と造形美が結集され、
宮廷工房ではスルタンの威光をさらに輝かせるための写本、衣装、宝飾品、武具や家具調度などの製作が盛んになりました。

トプカプ宮殿に収められているオスマン帝国約600年間の目にまぶしい至宝には、
何よりもまず多民族からなる巨大なトルコの領土を安寧に統治しようと望んだスルタンたちの願いが結晶していると言えるのかもしれません。

Column 03

象徴としてのラーレ

  • 《スルス書体・ナスフ書体のアルバム》18世紀 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《バラ色の燕尾形チューリップ》18世紀末-19世紀初頭 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《タイル》16世紀後半 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《タイル》16世紀後半 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《礼拝用敷物(セッジャーデ)》18世紀末 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《チューリップ用花瓶(ラーレ・ダーン)》18-19世紀 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《チューリップ用花瓶(ラーレ・ダーン)》18-19世紀 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《クッション・カバー》17世紀 トプカプ宮殿博物館蔵

  • くつわ》19世紀 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《染付カラック(芙蓉手)様式皿》1690-1710年 トプカプ宮殿博物館蔵

チューリップはオスマン帝国領内に自生する花でしたが、15世紀頃から園芸種の栽培が盛んになり、16世紀になると織物、タイル、陶器、
その他の工芸品を装飾するモチーフとして流行しました。
さらに18世紀には、チューリップの栽培と品種改良に多大な情熱が注がれました。
その数は2000種にも及び、美術のみならず文学においても人気を博し、アフメト3世の1716年〜1730年間には「チューリップ時代」と呼ばれるほどの一時代が築かれました。

チューリップはトルコ語で「ラ一レ(lâle)」と言います。
オスマン・トルコ語の表記に使用されていたアラビア文字で、ラ一レの綴りの文字配列を変えると、イスラム教の神のアッラーという言葉になり、
さらにはアラビア文字で表記されたラ一レを語末から読むとトルコ国旗のシンボルでもある三日月(ヒラール)という言葉に変わるのです。
そのような事情から、チューリップは花として愛されただけでなく、宗教的、国家的な象徴としても崇められ、
チューリップヘの畏敬を表した品々が数多く作られるようになります。

王冠、玉座、剣、カフタンといったスルタンに属するものだけではなく、建築装飾、宗教祭具、馬具、絨毯、日用の食器や花瓶にいたるまで、
国家の繁栄を祈念するべく、いたるところにチューリップの文様があしらわれているのを目にすることができます。
色とりどりのチューリップが栽培されたトプカプ宮殿が、チューリップの宮殿と呼ばれたのは、もっともなことなのです。

Column 04

卜ルコと日本

  • 《甲冑》16世紀末-17世紀初頭 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《皿》18世紀前半 トプカプ宮殿博物館蔵

  • 《コーヒーカップと受け皿》日本・明治時代 トルコ国立宮殿局コレクション

  • 《書き物机》明治時代末-大正時代初期 トルコ国立宮殿局コレクション

「トルコ人は親日的」、「トルコは遠くて近い国」と、しばしば言われますが、そうした両国民の感情は、どのような歴史や文化を背景としているのでしょうか。

卜ルコと日本の交流は、岩倉使節団員の島地黙雷(西本願寺僧侶)と福地源一郎(ジャーナリスト、戯曲家)が1873年にイスタンブルを訪問したことに始まります。
その後天皇家とオスマン帝国の君主であるスルタンとの皇室外交、
文民官民の往来など正式な国交が結ばれる以前からアジアの東西両端に位置する両国の交流は絶えることがありませんでした。

1890年にオスマン帝国軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で遭難した際の日本人による救出活動や、
野田正太郎(時事新報記者)、山田寅次郎(商人、後に茶道宗徧流第八代家元)が義援金をトルコヘ持参した事はトルコと日本の友好のしるしとなりました。

オスマン帝国終焉後、日本がロ一ザンヌ条約を批准し、1924年に正式な国交が結ばれてからも両国の友好関係は継続し、
政治・経済・文化など幅広い分野において良好な関係が継続しています。

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